UNDERGROUND野郎におみ唱える経
 
 
生活衝百科―地元意識を基盤としたテレビアニメの破壊と再生LP―

WHERE is HERO

8.29(金)23:00~@渋谷bar Shifty
Synchro Style
 
 
CASA
・MISATO
 
・3Q3SIN
KEN-T
・LANDTECHNIKS
・SANGA
・ELECTRIC BLUE
・空廻
東京未開封
・HASHI-WATASHI




この「埒外の民」は周囲からはただの怠け者にしか見えません。しかし本人の主観では人や社会に対する恐怖と必死に戦ったのです。心の疲労度合は努力して「勝ち組」になった人のそれよりも大きいのです。しかし「埒外の民」は自分が「埒外の民」であることにあまり自覚的ではありませんし、そのようになってしまった原因にも気がついていません。物凄い生きづらさを抱えていますが、それを周囲に説明ができません。周囲もそれを理解する術もなく「埒外の民」を怠けて負け組になった人間としか思いません。ですから「努力しないお前が悪い」と「埒外の民」をひたすら責め立てます。「埒外の民」は「自分がどうしようもない怠け者だったから負け組になった」という自己物語を形成します。このような自己物語を持った人間が、それからの人生を頑張る意欲を持てるはずがありません。底辺に沈殿するような人生を送ることになってしまいます。

突き詰めれば無意識裡に「自分は幸せになりたい!」と思えてればいいのです。

ところが自分の人生に興味が持てなかったり、自分には可能性が皆無だと思い込んでしまう人間がいます。このような人間が「埒外の民」であり、負け組の中の「努力するという発想がなかった人間」です。

自分の不幸は不遇が中途半端だったため原因を自覚できず、周囲の理解も得ようがなかった点です。重度の障害者は福祉の手厚いケアを受けられるが、軽度の障害者は放置され気味という日本の福祉の実態と似ています。
「美空ひばりすら努力の枠内に押し込めて語ろうとするのか。凄いご時世だな」
犯罪者心理の真実を世の中に伝えることには,事件の予防という意味において大きな意義があるはずです。
何をやっても怒られると学習した人は、何かを褒められたとしても馬鹿にされたとか皮肉られたとしか思えず、褒め言葉を褒め言葉として受け取ることができなくなってしまっているのです。

渡邊氏の言う「マンガ家を目指して挫折した負け組」「同人誌の世界の片隅の1人」「新大久保の住人」という社会との接点を不審に思う人がいるかもしれません。というのも、私が事件直前まで社会の接点としていた「工場でのオタクキャラ」「掲示板の住人」「掲示板上での不細工・非モテ自虐キャラ」のうち特に掲示板関係が理解されていないからです。

私の「キャラ」という説明より、渡邊氏の「設定」という説明のほうが世間一般には受け入れやすいかもしれません。つまりは、「そういうことにしておくと人とのつながりを持てる」ということです。渡邊氏や私の設定がナナメ上に大きくずれているために他人事のように思われるのでしょうけれど、「明るく元気に振る舞う」「酔ったふり」「ブリッ子」などといった設定で対人関係を獲得、維持、発展させているような例は世の中にあふれています。あるいは、芸人やアイドルの「設定」も同じことです。ファンを増やすのは、「つながり」を作ることだといえるでしょう。どんなにおかしな設定(キャラ)であってもそれは社会とのつながりを確保するためのものであり、誰でも当たり前にやっていることで、しかし重要であることを理解していただけたでしょうか。